自分を変えた講義
2017-12-22


若い頃、特に10代の間というのは、多感であり、柔軟に、自分の外にあるものを受け入れ、何でも吸収できる。その限られた時代に、自分が変わったと思える瞬間がありましたか?

子供の頃の経験は必ずしも自覚的ではないにしろ、その人格形成に大きな影響を与えるのでしょう。そういう心理学的な問題を扱うのではありません。

筆者を大きく変えたと思う大学の授業があります。大学に入って初めて受けた法学入門という講義です。小中高の学校教育では法を学ぶことは、まずありません。

憲法を専攻する先生でした。第二次世界大戦のとき軍国少年だったそうです。特攻隊を目指していたと言われていました。その人が終戦によって、生まれ変わるほどの体験をしたという話です。

戦前には神であった天皇が、終戦により、人間として人々の前に現れました。現人神であるその生身の姿を見ることなど、到底考えることもできなかった。その人が、今は、多くの人々の前で、手を振っている。和かな表情で手を振っているのです。その教授はまずこのことに衝撃を受けました。

軍国主義教育のための教科書は、至る所、黒く墨が塗られ、殆ど真っ黒だったそうです。天皇の「臣民」は、大本営発表に欺かれ、戦況の真実を知らされていませんでした。敗戦後、このことを漸く知ったのです。あるいは、日本が負けることに、感づいていたかもしれないけれど、それまで養ってきた確信のために、自分自身を騙していたのでしょう。

それまで信じてきたことを、悉く覆され、何もかも分からなくなった。戦後教育は、新たに制定された憲法の下で、以前の価値観を否定するものでした。全体主義ではなく、個人の生命を尊ぶこと、封建的な家制度の崩壊と、個人主義、自由主義、平等主義、特に男女平等の宣明がありました。それに憲法9条を中心とする平和主義です。国家のために死ぬことを正当化するのではなく、一人一人の生命を第一に優先するのです。

この授業の眼目は、正義とは何であるかです。

相対的に物事を観ることの重要性を説かれていました。戦前の価値観の根本が絶対主義です。戦後憲法の基本が相対主義です。個人の尊厳と思想信条、信仰の自由を尊重し、国家が私的な領域、個々人の内面に立ち入ることを禁じました。

この授業を受けて、相対主義の正義について考えるようになり、何度も小論を書いては考え直すようになりました。

大江健三郎の『セブンティーン』という小説があります。筆者は、高校時代に大江をよく読んでいたのですが、家庭環境も全く異なるのに、その主人公になぜか共感するようなところがあったのです。そして日本は軍隊を持つべきであると考えていました。

その筆者の考え方が、半年間のその授業で、全く変わったのです。

根っこを持たない個人主義、自由主義は、容易に全体主義に巻き込まれもします。全体の中で、強い個を維持し続けることは、とても難しいことです。

皆さんは、自分を変えるものに出会ったことがありますか?書物や誰かの演説、その人の信念に触れることが、そのきっかけになることがあるでしょう。

奉職先の大学の学生には、大学に入って良かったねと、語りかけています。相対的に物事をみる視点を獲得できるからです。多様な価値観と考え方を真剣に学んで、一つの考え方が絶対ではないことを知ることができます。どのようなことでも、自分のほんの周囲や、それまでに知り得ただけの知識の狭い範囲に拘泥することなく、もっと広い視野を持ち得ること、このことを鳥瞰的に物事を観る能力と呼んでいます。

当たり前で当然のことと思えることも、異なる見方のあり得ることを、もう一度思い出して下さい。その上で、選択しましょう。

その人を変えることのできる授業を、一体、筆者はできているのでしょうか。余り自信はありません。しかし、是非ともそのことを目指したいと考えています。
[世間]

コメント(全0件)
コメントをする


プロフィール


職業:大学教員
専門分野:国際関係法・抵触法
専攻:国際取引法及び国際経済法
  簡単に言うと、貿易を行う企業が他国の企業と訴訟を行う場合の法律問題です。また、WTOや経済連携協定の内容、EUのような国家連合、アメリカ合衆国の通商法について興味を持っており、大学で講義をしています。
1959年生まれ

ちなみに、ゲイではありあせん。

同じ筆者のホームページ

「寡黙な国際関係法」(大学の授業用HP)
http://www.geocities.jp/gnmdp323/

「裁判のレトリックと真相」
筆者が原告となった裁判を通じて、裁判制度の問題を扱っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~aj9s-fw/index.html


Twitter@eddyfour3



記事を書く
powered by ASAHIネット