国際人道法上の重大な違反と請求権協定
2019-08-18


とても暑くて閉口しています。久しぶりに墓参りに行く予定なのですが、たくさん生えた雑草を抜くのが、辛そうです。


日清日露戦争の時代、戦争後の平和条約において、当事国市民である被害者の個人請求権が言及されることはありませんでした。もともと、戦争が行われても、最も甚大な被害を被る国民、市民からの賠償請求が顧みられることはなかったのです。しかし、1907年のハーグ条約付属「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」を経て、第一次世界大戦後のベルサイユ条約により、個人請求権が承認されました。重大な国際人権法および国際人道法違反に対する、被害者個人の権利の存在が明確にされたのが、「現在の国連の大勢」です(2005年の国連総会決議)。
(高木喜孝「戦後賠償訴訟の歴史的変遷と現段階―平和条約の解釈と個人請求権の前進で未踏の領域に踏み込んだ韓国大法院判決」 [URL]より参照。)

1949年のいわゆるジュネーブ4条約(1953年にわが国が加入。条文については、防衛省のHP参照。[URL])において、国際人道法に対する重大な違反行為を定義し、非戦闘員・文民に対する殺人、拷問、非人道的行為など戦争犯罪に対する個人の刑事責任を確立しました。その後、旧ユーゴスラビアやルワンダの内乱、カンボジアにおけるクメールルージュの非人道的行為など、おぞましい国際人道法上の犯罪を経験した国際社会が、2003年に、常設国際刑事裁判所を設立したのです。もっとも、ここで注意を要するのは、国際人道法上の罪という観念が確立され、その刑事訴追を可能にすることと、私人による民事的な補償ないし賠償請求の権利が可能とされることとは別個の問題であるということです。ジュネーブ条約から常設国際刑事裁判所設立への系譜は、刑事訴追に関するので、必ずしも、民事的な賠償の個人的請求に関する国際法上の根拠とまでは言えないのです。

ベルサイユ条約は、領土の割譲と敗戦国に対する巨額の賠償金を課した、ある意味ではきわめて不公平な内容を有する条約でした。戦勝国が敗戦国を裁いたものです。個人の戦争被害に対する請求権も戦勝国にのみ認められる片面的なものでした。その後、ドイツがこの条約を無視し、ドイツ国内においてナチスの台頭を招き、やがて第二次世界大戦に結果したことは有名です。(ホロコースト・エンサイクロペディア [URL]

日本の第二次世界大戦の戦争責任に対する請求権については、サンフランシスコ平和条約が、戦勝国及び敗戦国の市民双方に関する個人の請求権について明記しつつ、日本がする平和条約上の賠償以外は、相互にこれを放棄することとされました。上記平和条約に加わらなかった中国及び韓国について、後にこれに代わる条約が締結されたわけです。日韓請求権協定が、日本が韓国に対して賠償を支払うとともに、相互の請求を放棄した一括方式によっています。国及び個人の相互の補償、賠償に関する複雑な争訟を避けて、戦後処理を一括して行うという利点を有します。第二次世界大戦における戦後処理が、第一次世界大戦のそれに対する反省を踏まえているとも考えられるでしょう。敗戦国に過度の負担をかけることが回避され、敗戦国が早期に戦後復興を遂げ、世界平和に貢献する国となることが望まれたという一面を有することは確かです。

ここで、確認できることの第一は、戦争による個人の損害について、特に、文民・非戦闘員の虐殺や、拷問、強制労働、性的搾取などの国際人道法の重大な違反について、個人的請求権が存在することが、国際法により確認されているということです。


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プロフィール


職業:大学教員
専門分野:国際関係法・抵触法
専攻:国際取引法及び国際経済法
  簡単に言うと、貿易を行う企業が他国の企業と訴訟を行う場合の法律問題です。また、WTOや経済連携協定の内容、EUのような国家連合、アメリカ合衆国の通商法について興味を持っており、大学で講義をしています。
1959年生まれ

ちなみに、ゲイではありあせん。

同じ筆者のホームページ

「寡黙な国際関係法」(大学の授業用HP)
http://www.geocities.jp/gnmdp323/

「裁判のレトリックと真相」
筆者が原告となった裁判を通じて、裁判制度の問題を扱っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~aj9s-fw/index.html


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